『祭りの準備』黒木和雄の映画論「ドキュメンタリーとフィクションは全く違う」

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN
<フィクションは本当にないものを全くでっち上げ、ドキュメンタリーはあるものをどうでっち上げるか──それが「決定的な違い」と黒木は語る>
黒木和雄監督が『祭りの準備』を発表したのは1975年。以前にこの連載で紹介した『竜馬暗殺』の翌年だ。たった1年しか空いていないのに、映画の肌触りはずいぶん違う。
本作の舞台は昭和30年代の高知県中村市(現・四万十市)。脚本家になる夢を胸に秘めながら信用金庫に勤める沖楯男が、夢をかなえるために単身で上京するまでの日々が描かれている。つまりこの作品は、脚本を書いた中島丈博の自叙伝だ。
『竜馬暗殺』が自主制作映画の究極であるならば、『祭りの準備』ははるかによくできている。主演は江藤潤。脇を固めるのは馬渕晴子、ハナ肇、竹下景子、そして黒木映画の常連である原田芳雄。しかし内容はすさまじい。地縁と血縁のしがらみが半端じゃない。高校を出たばかりの楯男(江藤)は、この時期の男の子のほぼ全てがそうであるように、性への好奇心と渇望に毎日悶々としている。特に幼なじみの涼子(竹下)に対しては、憧れと欲望が入り交じって自分でも何が何だか分からない。
とにかく登場する男と女たちがみなオスとメス。他のアクセントは酒と犯罪と左翼運動。信用金庫を退職して東京へと向かう楯男を見送る指名手配中の利広(原田)がいい。圧倒的にいい。そして切ない。
その黒木和雄監督に初めて会ったのは2002年。東京のミニシアターであるBOX東中野(現在はポレポレ東中野)で、『竜馬暗殺』上映後に行われたトークショーだった。黒木以外に是枝裕和や庵野秀明、緒方明などと月一でトークしていたこの催しは、その後に『森達也の夜の映画学校』とのタイトルで書籍化された。ちなみにその仕掛け人は、今年『きみが死んだあとで』を発表した代島治彦監督だ。
岩波映画製作所に就職した黒木は、20代の頃にはPR映画を撮り続けていた。僕は逆に20代は劇映画に浸っていた。つまり(こっちはまだまだチンピラだが)キャリアはほぼ真逆。劇映画とドキュメンタリーの差異について質問する僕に、黒木は以下のように答えた。「森さんの期待をちょっと裏切ることになりますけれども、ドキュメンタリーとフィクションは全く違いますね。(中略)フィクションは本当にないものを全くでっち上げますけど、ドキュメンタリーはあるものをどうでっち上げるかというね、決定的な違いですね」
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