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ラッシャー貴子|イギリス

LGBTQ+として初めて紙幣に印刷されたアラン・チューリング

 すでにカナダやオーストラリアでも使われているポリマー紙幣は、触ってみると表面がつるっとしていて弾力がある。特殊なホログラムが入った部分は透明になっていて、より偽造しにくいと言われている。また材質が丈夫で、紙に比べて持久性が2.5倍。印刷コストは高くつくが、長い目でみれば節約になるそうだ。

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ポリマー製の20ポンド札を折ってみた。ハリがあるので力を込めても紙のようにぴっちり折りきることができない。ふんわりしていて、どことなく頼りない感じになる。手で破こうとしても簡単には破けないし、水にも強くて、もし洗濯してしまっても印刷がにじまないそうだ(残念ながら未経験)。筆者撮影

 英国で紙幣に偉人の顔が印刷されるようになったのは1970年から、意外にもたった50年前のことだ。人選には、特に最近は多様性を取り入れるように配慮されている。10ポンド札のジェイン・オースティンが女性で、次は黒人を入れるべきではないかという声もあったけれど、今回はチューリングが選ばれた。ゲイとして初めて紙幣に印刷されることになったのだ。

 前にも書いたように、イングランドでは1967年まで同性愛は犯罪だった。そしてチューリングは1952年に同性愛行為で有罪判決を受けている。当時は刑務所に入る代わりに「化学的去勢」を受ける条件の保護観察処分を選ぶことができたため、彼は1年間、女性ホルモン注入などの「措置」を受けた。体にも負担になりそうだが、精神的にも厳しそうだ。今ではイングランドは同性婚さえ認めているので、ほんの70年間での急激な変化に改めて驚かされる。

 チューリングは「措置」を終えた後、1954年に41歳で亡くなった。死因は青酸中毒で、自死だったと言われている。部屋にはかじった跡のあるリンゴが落ちていて、家族や友人に自殺と悟られないように、映画『白雪姫』からヒントを得て青酸カリを塗ったリンゴを食べたのではないか、と言われるが、真相はわかっていない。またこのかじったリンゴは、コンピュータのアップル社のロゴマークの原案になったという説もあるが、こちらも諸説あって、神話のようになっている。

 こうしてチューリングは、戦争中に暗号を解読して何百万人もの命を救ったヒーローとしてはさびしい最期を迎えた。だが没後、彼の名誉回復を求める運動が高まり、2009年には政府が謝罪、2013年には正式な恩赦が与えられた。さらにはこれがきっかけになって、2017年には過去に罰せられた同性愛者を赦免する法律(「チューリング法」と呼ばれる)が施行され、すでに他界していた5万人近い男性が「差別によって不当に扱われた」と認められ、死後恩赦を受けることになった。チューリングは、亡くなった後にも多様性の受け入れという形で社会に貢献したのだ。

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今月は町のあちこちで目にするレインボーカラー。わが町では、子どもが出入りする文房具店にもしっかりディスプレイされている。こうして小さな頃から目にしたり耳にしたりすることで、多様性を自然に受け入れるようになるんだろうな。筆者撮影

 新50ポンド札の流通が始まった6月23日は、チューリングの109回目の誕生日だった。そして6月は世界中でLGBTQ+のコミュニティーを祝い、その権利を啓発する「プライド月間」になっている。英国でも、ロンドン市内はもちろん、わたしが住む地元の小さな町の商店街にさえ、LGBTQ+を象徴するレインボー色の旗や飾りがあふれている。当時の法律で仕方なかったとはいえ、性的嗜好での差別に苦しんだチューリング。彼の顔が紙幣になって再び世の中に登場するには、これ以上のタイミングはなかったかもしれない。

 

Profile

著者プロフィール
ラッシャー貴子

ロンドン在住15年目の英語翻訳者、英国旅行ライター。共訳書『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』、訳書『Why on Earth アイスランド縦断記』、翻訳協力『アメリカの大学生が学んでいる伝え方の教科書』、『英語はもっとイディオムで話そう』など。違う文化や人の暮らしに興味あり。世界中から人が集まるコスモポリタンなロンドンの風景や出会った人たち、英国らしさ、日本人として考えることなどを綴ります。

ブログ:ロンドン 2人暮らし

Twitter:@lonlonsmile

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